肥満体がフルマラソンに挑戦するブログ

BMI28、アラフォーです。マラソンを科学します。

蓮舫さんではもう民進党はもたない

蓮舫さんは失敗だったと思います。

2重国籍問題ですが、台湾籍と日本籍を持ったまま国会議員になったことが間違いです。

以前は台湾ルーツの芸能人としてもアピールしていた時期もあります。

 

結局、潔さがないのです。

台湾籍があり、国会議員となったことはいいのです。

それが問題だと認識されたときの対応がよくないのです。

結局、うそつきな印象を与えました。

潔く辞任すれば、次の選挙では必ず当選し、リーダーの器と評価されたのではないでしょうか。

潔さ…それが蓮舫さんには欠けていて、どうしても嘘つきな印象が拭いきれません。

 

プールで考えたこと

夏になりました。

毎年、溺れて海やプールでなくなる方のニュースが出ます。

子供と海に行っていて、もし子供が溺れたらと想像してみます。

プールで子供を背負って泳げるかどうか子供と実験してみます。

無理です。

プールでも無理です。

海では絶対無理でしょう。

子供が溺れて助けに行く大人が溺れて死ぬ…よくある話です。

ではどうすればよいのか。

 

そもそもなぜ溺れるのでしょうか。

海の場合は

①急な波に揉まれる。パニックになる

②離岸流に流される 沖に流れる流れにまきまれることです。

③逆潜流 底に向かう流れです。

 

では対策は?

子供が離岸流 逆潜流 パニックになることをきちんと理解できるまでは一瞬たりとも目を離さない、危険なところにいかせないことが大切だと思います。

 

子供が理解できるようになったら、それでも危険が伴います。

 

溺れたときの対処を子供に予め教える必要があるでしょう。自分が溺れたとき、友達が溺れたとき、人が溺れているのを発見したときどうすればよいでしょうか。

 

一番大切なのはまずは自分で助けに泳ぎに行かないことではないでしょうか。

溺れている人を助けて、岸まで泳ぐのは普通の人には無理です。5歳の子供でもです。

まずは

①溺れた人は背浮きをする 

人間の体の比重は0.98です。水は1.00です。2パーセントは浮きます。

なので水面にでるtopの位置が口鼻の姿勢をとることです。

それが背浮きです。

なので必ず下肢は挙上する必要があります。

「背浮き」の画像検索結果

このとき胸を下肢を挙上するために胸を張ろうとすると沈みます。

頭を上げても沈みます。

なので一番大切なことはflatな姿勢を維持するようにすることです。

これを普段から子供とプールに行くときに教えます。

②なので溺れた人は助けを呼んではいけない

手を振って助けを呼ぶと溺れます。

手を振らない

まずは冷静に背浮きする。

浮いて待つことです。

 

③他人は119番に通報する。身の回りの浮力体を投げる。浮き輪でもペットボトルでも。

自分で絶対に助けてはだめです。近くに行くことができたら浮力体を渡します。

④海やプールで酒は厳禁です。

飲みたくなりますが、危険です。

 

以上を心に留め、毎年プールでは子供に繰り返し教えることにします。

 

 

日本とアメリカの違い

拡張型心筋症を患い、米国で心臓移植を受けた森川陽茉莉(ひまり)ちゃん(2)を支援する「ひまりちゃんを救う会」は13日、追加医療費として95万ドル(約1億1千万円)が発生し、募金残高の約1800万円を充てても、約9200万円不足していると報告した。同日付で救う会フェイスブックに掲載した。

 

よく何とかちゃんを救う会等あります。高額になる理由の一つにデポジット代があります。アメリカ人に対する心臓移植のデポジットは、3000万円が一般的です。

日本人はその5倍は要求されているようです。同国人より極端に高額な理由は、「国内の反発を抑えるため」であり、これが割込料と言われてしまう理由です。

さて、いろいろ問題なのですが、親が子を救いたいと思うのは当然のことです。

問題は日本ではあまりにもドナーの数が少ないということです。

心臓移植が問題だと良く聞きますが、根本的にドナーをどうするか、どうやって行くのかというアクションを日本はなかなか起こしてないのではないでしょうか。

ドナーカードで私は移植に自分の臓器を提供しませんと書いてはっきり意思表明している人意外は強制的にドナーとなるというような抜本的な改革が必要ではないでしょうか。

 

アメリカがいいか悪いかは別にしてアメリカは問題をいつでもなんとか改善しようとしているなと感じさせます。

 

韓国人「50ドルで大人4人と犬2匹泊めて」⇒民泊Airbnb「クレージーなアジア人お断り」「地球上にあなたしかいなくなっても絶対に貸さないわ」 ⇒Airbnbは人種差別でホストが永久追放

 

というような事件がありました。

日本だったらこんな風にはなりませんね。

紙面で注意ぐらい、お咎めなし。あとは民事でもなんでもやってください。なんて感じでしょう。この場合は明らかなに韓国人が悪いと思いますが、人種差別的発言は即刻対処される。日本ではあまり考えられないことです。

小池都知事が圧勝

 東京都議会で小池都知事率いる都民ファーストの会が圧勝しました。国政の雰囲気を感じとった都民による選択でした。

 積極的に都民ファーストに期待するわけでもないが、自民党にお灸をすえる、ほかに投票するところがない、消去法的な選択のようでした。

 今の自民党もそうですよね。自民党をを積極的に支持するわけではありませんが、ほかに選択枝がない。自民一強の時代です。

 そういった意味で自民党内での2大政党制のようなものが必要なのかもしれません。

 何れの政党になるにしても、小手先の改革しかしない政党になるのでしょうね。たぶん、あと何十年かして日本が破綻するようになって初めてみんな目がさめるのでしょう。自分はその時はもう老人です。国民の大批判をくらっても、膨大すぎる社会保障にメスを入れることのできる政治家が現れてほしいですね。

パソコンのスタートアップ画面で広告を消す

簡単にできるんですね。

 

 
 

「スタートメニュー」の「プログラムとファイルの検索」欄に「msconfig」と入力。


検索結果の「msconfig .exe」をクリック。

③ 
「スタートアップ」のタブにある、停止させたいプログラムの☑をはずす。


「適用」を押して、「OK」を押す。


再起動させて、完了。
 
 

バニラエア問題 テロ的な行為

 奄美市奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。バニラ・エアは「不快にさせた」と謝罪。車いすでも搭乗できるように設備を整える。

 

バニラエア問題です。LCCが下半身付随の方の搭乗を断ったが、半身付随の人は納得できず、自力でタラップを上ったとのことです。

 

LCCは自力で歩けない人は搭乗できないとしていた

事前連絡した場合でも搭乗できない

→自力で歩けない人は事前連絡しようがしまいが搭乗できない状態だった

 

半身不随の人

バリアフリー研究所の方で講演も多数しているようなプロ障碍者

事前連絡はしない

過去にもほかの航空会社と揉めたことがあった

事前連絡せずに自分他者への危険承知で,ほかの搭乗者の迷惑を考えず、自力でタラップに上った。

 

 どっちもどっちな気がします。

 バニラエアも格安航空会社なのでサービスを削って、格安での価格となっています。営利企業なので仕方がないかなと思いますが,障碍者への思いやりに欠けているとは思います。金のためといえば仕方ありませんが、現在の企業は営利目的だけはなく、社会への奉仕もあってほしいと思います。

 障碍者の方もやりすぎでしょう。もともとバリアフリー研究所の人で、講演も多々している方なので、バニラエアのサービスが不十分であることは承知でしょう。パフォーマンスかもしれませんが、テロ的行為のように過激すぎます。

 バリアフリー研究所の方であるならば、もっと穏便に事前に交渉すべきではないでしょうか。半年-一年かけて、文書や面会で航空会社の対応を促す方法もあったはずです。もっと穏便に事前交渉をしたうえで全く対応してくれないならば、このようなテロ的行為も選択枝に選ばれるかもしれませんが、いきなりはやはり困惑します。

 障碍者が全く健常者と同じようなサービスを低価格で受けられる。それは理想でそれを目指して社会は頑張るべきだと思います。そうすることが健常者にとっても保険になりうります。健常者も明日は障碍者となることがあり得ますから。ただその社会を獲得する方法が過激なパフォーマンスでマスコミを使って訴えるということはやはり不快です。それの方が早いのかもしれませんが。結果的にはバニラエアも改善策を提示し、良い方向に向かったと思われますが、この障碍者の方とはお友達になれないなと思います。

妬みという感情

   生きていくうえで人の幸せを阻む気持ちはなんでしょうか。妬みではないでしょうか。現代の日本人は豊かになりました。昔の王様だってこんなに快適な生活はできていません。美味しいものが1000円もだせば食べられます。500円でもけっこうです。快適な空調、安くて機能性のよい服や靴。それでも、あーこんな生活ができて幸せだぁと思う一方でもっともっと快適に、もっと人よりもという欲望に囚われています。

 スマートフォンタブレットの登場でますます人は便利な社会を造りだしましたが、幸せを感じる人がこれらの登場で増えたかというとそうでもない気がします。どれほど便利に快適になっても幸せを感じることのできない人は一定の割合存在するでしょう。衣食住が満たされた社会では、幸せを感じることができる人の割合は一定なのではないでしょうか。もちろん衣食住が満たされていない社会では、衣食住が満たされるにつれ、幸せに感じる人は増加していくと思います。

 衣食住が満たされても、家族と過ごせても、まだまだもっともっとと思う気持ち、ひとよりももっと快適にという気持ち。これが人の幸せを阻むのではないでしょうか。資本主義社会にとってこのもっともっとという気持ちはいろいろなものを生み出す原動力になるのでしょうが、人の幸せはそうでもないと思います。

 物質的に恵まれていても、人と比較してそうでもなければ、幸せという気持ちは減少します。自分と周りの人が同じであれば、少々不便でも、少々不足しても幸せに感じることできるのではないでしょうか。

 私たちは人と比較するということが自然な習慣になっています。これが幸せを阻む原因のひとつだと自分は考えます。小学校、中学校、高校、社会と自分たちは他人と比較されてきました。比較されること、比較してしまうことが自分の妬みの原因ではないかと思います。

 自分の能力、他人の能力は異なります。どれだけ頑張れるか、体力があるかも人それぞれです。本来自分と他人とで比較することは無意味です。人と同じだけ頑張る必要もありません。自分なりに頑張ればよいのです。人と比較しない、自分は自分である、そうやって自分の気持ちをコントロールすることで妬みの感情を抑えることが幸せにつながるのではないでしょうか。

 

 小学校、中学校、高校、社会と書きましたが、大学はどうなのでしょうか。大学でも比較するという感情はあったのですが、ほかの社会に比べて相対的にそういった気持ちが少ない場所だったと思います。どのような社会でも比較すること、他者との位置関係を意識することはありますが、大学はある程度そのような気持ちから超絶した場所だったと思います。日本の大学は本当に自由です。講義に行く行かないもある程度自由でしたし。大学はほかの社会に比べて苛め等も少ないそうです。勿論あることはあるのでしょうが、比較的ほかの社会と比べると苛めが少ないです。他者との比較があまりないからでしょうか。