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肥満体がフルマラソンに挑戦するブログ

BMI28、アラフォーです。マラソンを科学します。

「オーリーとトゥルーファー」(アイザック・B・シンガー)の物語 

「オーリーとトゥルーファー」(アイザック・B・シンガー)の物語をSIMという英語教材で聞きました。昔高校生の頃に勉強したのですが、最近また英語を少し勉強しようとおもって聞きました。

 冬を前に他の葉は散ってしまうが、オーリーとトゥルーファーと名付けられた二枚の葉だけは耐えて生き残っていた。他の葉が散り自分達だけが残った理由は分からないが、二人はそれが二人の愛の力のおかげだと信じていた。そして、オーリーが先に木から離れて逝ってしまう。残されたトゥルーファーは絶望と孤独の中で何とか耐えている。そして、自分の力では木から離れることもしがみつくこともできないことを嘆く。葉にとって木は神であり、宇宙のようであり、絶対的な支配者だった。一枚の葉は木にとって気に留めることもないような存在だった。

 そして、ついにトュルーファーも木から落ちる。木の下での目覚めは、彼女(トゥルーファー)がかつて日の出とともに木の上で目覚めた時に感じたものとは違っていました。彼女の恐れや不安の全ては今では消え去っていました。その目覚めは、彼女がかつて感じた事の無い認識をもたらしました。

 今彼女は、自分が風の気まぐれに右往左往する葉ではなく、宇宙の一部であると知りました。

 彼女の横にはオーリーが横たわっていて、彼らがかつて気付いた事の無い愛をもってお互いに挨拶をしました。

 これは、偶然や気まぐれに依存する愛ではなく、宇宙そのものと同じくらい力強い愛でした。そよ風がやって来てオーリーとトゥルーファーを空中に持ち上げ、そして彼らは、自分自身を解放した者だけが知る無上の喜びをもって舞い上がり、そして永遠に結びついたのです。

 

こんな話なのですが、なんとなく葉に自分たち、人間が重なります。自分たちはどんなにがんばっても、木の恣意的な思いの中でしか生きられません。はじめから木のどの部分に生えてくるのかも決まっています。死ぬときも自分では選ぶことができません。絶対的な木の上で運命を委ねている葉のようなものです。だからといって悲観する必要もありまません。人を羨む必要もありません。どんなに成功している人も、羨ましいと思ってい居る人も木に生えた葉なのですから。そしていつかは自分も木の一部、宇宙の一部になるのですから、いつか死ぬことを恐れる必要もありません。