肥満体がフルマラソンに挑戦するブログ

BMI28、アラフォーです。マラソンを科学します。

妬みという感情

   生きていくうえで人の幸せを阻む気持ちはなんでしょうか。妬みではないでしょうか。現代の日本人は豊かになりました。昔の王様だってこんなに快適な生活はできていません。美味しいものが1000円もだせば食べられます。500円でもけっこうです。快適な空調、安くて機能性のよい服や靴。それでも、あーこんな生活ができて幸せだぁと思う一方でもっともっと快適に、もっと人よりもという欲望に囚われています。

 スマートフォンタブレットの登場でますます人は便利な社会を造りだしましたが、幸せを感じる人がこれらの登場で増えたかというとそうでもない気がします。どれほど便利に快適になっても幸せを感じることのできない人は一定の割合存在するでしょう。衣食住が満たされた社会では、幸せを感じることができる人の割合は一定なのではないでしょうか。もちろん衣食住が満たされていない社会では、衣食住が満たされるにつれ、幸せに感じる人は増加していくと思います。

 衣食住が満たされても、家族と過ごせても、まだまだもっともっとと思う気持ち、ひとよりももっと快適にという気持ち。これが人の幸せを阻むのではないでしょうか。資本主義社会にとってこのもっともっとという気持ちはいろいろなものを生み出す原動力になるのでしょうが、人の幸せはそうでもないと思います。

 物質的に恵まれていても、人と比較してそうでもなければ、幸せという気持ちは減少します。自分と周りの人が同じであれば、少々不便でも、少々不足しても幸せに感じることできるのではないでしょうか。

 私たちは人と比較するということが自然な習慣になっています。これが幸せを阻む原因のひとつだと自分は考えます。小学校、中学校、高校、社会と自分たちは他人と比較されてきました。比較されること、比較してしまうことが自分の妬みの原因ではないかと思います。

 自分の能力、他人の能力は異なります。どれだけ頑張れるか、体力があるかも人それぞれです。本来自分と他人とで比較することは無意味です。人と同じだけ頑張る必要もありません。自分なりに頑張ればよいのです。人と比較しない、自分は自分である、そうやって自分の気持ちをコントロールすることで妬みの感情を抑えることが幸せにつながるのではないでしょうか。

 

 小学校、中学校、高校、社会と書きましたが、大学はどうなのでしょうか。大学でも比較するという感情はあったのですが、ほかの社会に比べて相対的にそういった気持ちが少ない場所だったと思います。どのような社会でも比較すること、他者との位置関係を意識することはありますが、大学はある程度そのような気持ちから超絶した場所だったと思います。日本の大学は本当に自由です。講義に行く行かないもある程度自由でしたし。大学はほかの社会に比べて苛め等も少ないそうです。勿論あることはあるのでしょうが、比較的ほかの社会と比べると苛めが少ないです。他者との比較があまりないからでしょうか。